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千葉地方裁判所 昭和35年(レ)34号 判決

千葉県柏市柏六七番地

控訴人

西沢君

右訴訟代理人弁護士

品田四郎

千葉県松戸市坂下二丁目一三一六番地

松戸税務署内

被控訴人

鈴木正一

右訴訟代理人弁護士

国吉良雄

右当事者間の昭和三五年(レ)第三四号損害賠償請求控訴事件につき、当裁判所は次の通り判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す、被控訴人は控訴人に対し金二六、七九〇円及び之に対する昭和三五年三月二五日以降右支払済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一・二審共被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、双方代理人において次の通り補充訂正した外は原判決事実摘示の通りであるから茲に之を引用する。

控訴代理人は、「控訴人は昭和三四年三月三日松戸税務署に対し昭和三三年度の所得税の確定申告をするに際し、収支の計算書を提出した上、被控訴人の指導のもとに申告書を作成提出したものであつて、その際特に控訴人の申告した必要経費のうち、訴訟費用と管理人費用とについては被控訴人が容易に理解納得しなかつたので、控訴人は立証書類を提出し詳細に説明して被控訴人と充分論議を尽した結果、被控訴人は右経費につき一応納得して控訴人の申告を受理したのであり、しかもその後昭和三五年一月三〇日控訴人が被控訴人から呼出しを受けて松戸税務署に出頭し、申告額の更正について話があつた際にも、右必要経費については何等ふれるところなく、専ら他の点についてのみ話があつたのである。しかるにその後送達された更正決定により更正された主なものは右二つの必要経費であつて、これは前期申告当時からの経過に照らし、被控訴人がその後に調査した結果によつて更正したのではなく、当初から控訴人に損害を加える目的を以て故意に控訴人の申告した申告内容を納得した如く装つて一旦之を受理した上、後になつて突如右の如く更正をし、以て控訴入に過少申告加算税利子税として合計金二六、七九〇円の納付を余儀なくさせて同額の損害を与えたものであり、右損害は被控訴人がその担当する職務行為とは無関係に之を利用して控訴人に加えた被控訴人個人の不法行為基づくものであるから、被控訴人はその損害を賠償すべき義務がある。

仮りに右更正決定はその後の調査の結果によつてなされたものであるとしても、税額の更正は期間が徒過すればそれだけ国民の損害が増大するのであるから、かかる職務を担当する公務員は速かに所定の調査をして申告の更正をすべき義務があるところ、被控訴人は控訴人が前述の如く申告当日計算書を提出し、又被控訴人の命により昭和三四年五月二五日重複して詳細な計算書を提出したのにも拘わらず、いたずらに調査を遷延し、損害金の増大した時をみはからつて更正決定をしたものであつて、これは被控訴人がその担当する職務行為を利用し、控訴人に損害を加える目的を以つて特に悪意ある取扱をしたものと云うべく、右は被控訴人個人の不法行為を構成するから被控訴人は控訴人の受けた前記損害を賠償する義務がある。」と述べ、尚被控訴人の主張は争うと述べた。

被控訴代理人は、「控訴人がその主張の如く昭和三三年度の所得申告をした際、計算書を提出し、立証書類を提出したこと、控訴人・被控訴人間で充分論議を尽くし、被控訴人が納得して右申告書を受理したこと、昭和三五年一月三〇日頃被控訴人が更正の話をした際に必要経費の点にふれなかつたこと、被控訴人が故意に控訴人に損害を加える目的でその職務行為を利用し、控訴人の申告内容を納得した如く装つて之を受理したこと、その後故意に調査を遷延し悪意ある取扱をして更正決定をしたこと、被控訴人の行為が不法行為を構成すること、以上の控訴人の各主張事実はすべて否認する。

被控訴人は松戸税務署において、その担当職務に応じ、上司の指示に従つて控訴人の提出した確定申告書を受理し、又不動産所得について調査するなどの更正事務を処理したのであつて、これ等の行為はいずれも公権力の行使に関する職務行為それ自体に外ならないから、これを原因とする損害の賠償についてはすべて国家賠償法の適用があると解すべきところ、右国家賠償法は国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行なうに際し故意又は過失により違法に他人に損害を加えた場合に、被害者に対する損害の賠償に遺憾なからしめると共に、他方公務員自身が公権力の執行を受ける者から損害賠償の請求を受けることを顧慮するの余り、公正な職務を執行することを遅滞逡巡し、公権力の行使に徹底を欠き、その円滑さを失わないようにする趣旨で定められたものであつて、同法によれば右被害者に対する損害の賠償はすべて国又は公共団体がその責に任じ、ただ公務員個人はその職務を行なうにつき故意又は重大な過失のあるときに、国又は公共団体から求償されることはあつても、被害者に対し直接損害賠償責任を負うものではない。よつて控訴人が仮りにその主張の如き損害を受けたとしても、右損害の賠償はすべて国がその責に任じ、被控訴人個人は直接その責に任ずるものではないから、控訴人の本訴請求は失当である。

のみならず被控訴人が、控訴人の提出した確定申告書を受理し、その後更正の事務処理をなしたことに何等の違法もなく、又故意・過失もない。すなわち、我が国の現行所得税法は申告納税制度を採用し、租税債務の確認は第一次的には確定申告により納税者に委ねており、その確認が法規に照らし正当でないか又は申告義務あるものが申告をしない場合に限り、税務官庁が所得税法第四四条第一項の更正又は同条第四項の決定をすることになつているのであつて、納税者のなす確定申告書については所轄の税務署長及び事務担当の税務署の係員は遅滞なく之を受理すべき職務を有するのみで、当該申告書の形式上の点について好意的に助言することはあつても、その受理、不受理を決し、又は申告書の内容につき変更を求める法律上の権限も義務もない。従つて被控訴人は控訴人から昭和三三年度分の所得税の確定申告書が提出された際にも、他の一般の確定申告書と全く同様に受付けて所定の処理をしたに過ぎず、右控訴人のなした申告内容の当否を調査したことはなく、その申告内容の当否は全く知らなかつたのである。仮りにその内容の当否を知り得たとしても前述の申告納税制度の趣旨からして控訴人主張の如く確定申告書を却下する等不受理の措置をとることは法律上できないのである。従つて被控訴人が控訴人の提出した確定申告書を受付けたことに何等の違法はない。

又その後被控訴人は控訴人の同年度の所得税の課税標準の調査を担当することとなり、その調査をした結果確定申告の内容が事実と相違していることがはじめて明らかとなつたので、訴外松戸税務署長は右調査に基づき、控訴人に対し適法期間内に更正処分をしたのであるから右更正事務の過程においても何等の違法はない。以上の如く右一連の処理は他の一般のものに対すると全く同様に行なつたもので、特に控訴人に対してのみ別異に取り扱つたものではなく、又その間において被控訴人に故意・過失はない。

尚又控訴人はその後更正決定を受けて過少申告加算税及び利子税を徴収され、同額の損害を蒙つたと主張するが、右損害は納税者たる控訴人自身が当初真実に合致しない申告をしたことによるものであつて被控訴人の行為によつて生じた損害ではなく、右損害と被控訴人の行為との間に因果関係はない。

よつて以上いずれの点からするも控訴人の本訴請求は失当である。」と述べた。

立証として控訴代理人は当審における控訴人本人尋問の結果を援用した。

理由

被控訴人が松戸税務署直税課の所得税第一係常務班員として勤務し、確定申告書の受付、不動産所得の調査等の事務に従事する大蔵事務官であること、控訴人が昭和三四年三月三日松戸税務署に対し、昭和三三年度の総収入を金二、一〇〇、四二〇円、必要経費を金九二四、六七二円、所得金額を金一、一七五、七四八円として所得税の確定申告をなし、被控訴人が之を受理したこと、その後控訴人は右申告に基づく所得税を遅滞なく納付したが、昭和三五年二月二〇日同税務署より右控訴人の申告にかかる必要経費のうち、その一部を削除した更正決定の通知を受け、本税の追加納付(金一六八、五二〇円)を命ぜられると同時に、過少申告加算税八、四〇〇円、本税に対する昭和三四年三月一七日より昭和三五年三月一五日迄の利子税金一八、三九〇円、合計金二六、七九〇円の納付を命ぜられてその頃これを納付したこと、右更正の事務は被控訴人が担当したことはいずれも当事者間に争いなく、右更正決定により削除された必要経費の主なるものが、訴訟費用と管理人費用であつたことは被控訴人の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。

ところで控訴人はその主張の如き事実経過に照らし、右更正決定はその後の調査の結果によりなされたものではなく、被控訴人が当初から控訴人に損害を加える目的でその担当する職務行為とは無関係に之を利用して、控訴人の申告した確定申告書を違法に受理した上、後になつて突如として右更正をしたものであり、仮りに右更正決定がその後の調査によりなされたものであるとしても、被控訴人はその職務行為を利用し、控訴人に損害を加える目的で故意に調査を遷延し、悪意ある取扱をしたものであると主張するが、当審における控訴人本人尋問の結果によるも右主張事実は認め難いし、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

却つて前述の当事者間に争いないところの被控訴人のなした申告書の受理及びその後の更正事務の処理は、まさに国の公権力の行使に当たる公務員の職務行為というべきである。かくの如くおよそ国の公権力の行使に当たる公務員がその職務を行なう場合は、仮りに、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとしても、その場合はすべて国がその賠償の責に任じ、公務員個人は何等その賠償の責に任じないと解するを相当とする。蓋し、国又は公共団体の公務員がその職務を執行するにつき、故意又は過失により違法に他人に加えた損害については、国家賠償法第一条第一項により完全なる賠償能力のある国又は公共団体がその賠償の責に任ずるから、被害者の救済に何等欠けるところはないからである。(同旨最高裁・昭和三〇年四月一九日判決・民集九巻五号五三四頁)。従つて仮りに被控訴人が前記控訴人の提出した確定申告書を受理し、又その後右申告内容を調査して更正の事務処理をするに際し、故意又は過失により違法に控訴人に損害を加えたとしても、被控訴人は控訴人に対し直接その損害を賠償すべき義務はない。

よつて控訴人が被控訴人の不法行為により本件確定申告後、その主張の如き更正決定を受けて過少申告加算税及び利子税を徴収され同額の損害を蒙つたと主張して、直接被控訴人個人に対し右損害の賠償を求める本訴請求は、その余の点につき判断する迄もなく失当であり、之を棄却した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条により本件控訴を棄却し、控訴費用につき同法第九五条、第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 猪俣幸一 裁判官 後藤勇 裁判官 遠藤誠)

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